鉄道旅行を中心に、世界遺産から珍スポットまで、なんでもアリの旅行記
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今回は日本からフィリピンへと海を渡った中古客車に乗る旅。
そう、フィリピン国鉄ではJRの中古車両が使われているのです。
【簡単なフィリピン国鉄の解説】
■主な路線は、マニラ~レガスピの南方線(486km)と、マニラ~サンフェルナンド・ウニオンの北方線(266km)の2路線とその支線。
■北方線は、一部廃止を繰り返した後、1991年のピナツボ火山噴火で全線休止(廃線状態?)。
■南方線は、2006年9月の台風によりマニラ南部で鉄橋が崩壊し、その鉄橋以南が2008年現在も運休。残った区間のビナンまで約40km、1日6往復のみ運している。
■残った区間も、スクオッターと呼ばれる不法居住者が鉄道敷地内にスラムを作り(世界一長いスラム街だとか)、線路内で炊事・洗濯をするなど、生活の場になっている。
■線路を勝手に使った、人力トロッコによる営業が行われている。
■一部区間では、日本のODAによってスラムの撤去→線路の再整備を行ったが、その後の保線が満足に行われず、全線に渡り線路状態は最悪。
■1999年と2001年にJR東日本から、2003年にJR九州から海を渡ってきた客車がある(使用しているのは一部のみ)。
■2010年現在、残された区間の改良工事が進み、これから紹介するような景色は残っていない。マニラ南部への復旧工事も進行中で、JR東日本で廃車になったブルートレイン(14系寝台車)が使用される予定。
成田空港からノースウエスト19便でマニラへ向かう。
このあとマニラに着くのは23時。
今回は2泊3日フリータイムのパッケージツアーを利用。
あさって朝8時発の飛行機で日本に帰らなければならない。
マニラ滞在時間は33時間のみ( ̄▽ ̄;)
実際に使える時間は非常に少ない。

ニノイ・アキノ国際空港到着後、入国審査へ。
到着便が集中しているのだろう、長蛇の列。
30分以上待たされ入国、そして税関を通過。
到着ロビーに出てすぐに送迎のガイドと落ち合うことができたけど、
「他ノオ客サンガマダデス。オ待チクダサイ」
しばらくして全員集合、車に移動する。
が、渋滞で駐車場から車がなかなか出てこない・・・。
車に乗ってしまえば渋滞も無く、順調に市内へ。
ホテルまで送迎してもらい、部屋に入れたのは夜中の1時。
「アサッテ、朝5時ロビー集合デス」・・・(´Д`|||)
すぐ寝ようかと思ったけど腹が減った。
あの機内食だけじゃ足りない。
ちょうどホテルの目の前に24時間営業のマックが。
行くしかないでしょ。
そのあとシャワー浴び、ベッドに入った時間は2時半すぎ・・・。

目が覚めたのは9時近く。
昨夜ホテルに入った時点で朝の列車はあきらめていたからゆっくり起床。
朝食は食べずに表通りに出ると、ジプニーが走っていた。
乗ってみたいけど乗り方がわからん。
どこに連れていかれるかもわからん。
ここはおとなしく上の高架線を走るLRTに乗る。

窓口で切符を買っていると、ちょうど電車がきた。
急いで改札口を抜け、電車に乗ってから切符を見てみると、どこかで見たことのある人物が・・・。
左はフィリピンのアロヨ大統領、右の人は・・・、
安倍晋三元首相じゃないかっ!
こんなところでお会いできるとは。
(この当時は福田”あなたとは違うんです”康夫首相)
この頃はにこやかだったんだねぇ。

ドロテオ・ホセ駅で下車。
LRTは撮影禁止らしく、電車の写真が撮れなかった。
ホームで写真を撮ろうとしたら警備員がすっ飛んでくるし・・・。
写真左側の赤い看板の店はフィリピンのハンバーガーチェーン「ジョリビー」。
マックよりお値段が安い。
朝メシがまだなのでここに立ち寄る。

フィリピン国鉄のトゥトゥバン駅まで歩いていく。
ドロテオ・ホセ駅から30分以上かかっただろうか。
実はこの辺り、トンド地区というスラム街。
治安が悪く、一人歩きはよくないというが、地図では他の駅からトンド地区を突っ切っるのが一番近そう。
だがここは少しでも安全をと考えて、遠回りだけど大通りを歩いていく。
写真は途中の橋から見た川。
ゴミで完全に埋まり、そんな場所でも家が並んでいる。

この立派な建物はフィリピン国鉄本社。
ここの1階がマニラの始発駅、トゥトゥバン駅(※)。
本当に立派な本社。
本社だけ立派です。
※正式名称はタユマン駅。ここでは通称のトゥトゥバン駅とします。
なぜか切符にも通称の「TUTUBAN」と印刷されていたので(^^;)

本社正門の左側にはSLが置かれていた。
だけどさぁ、そんな向きに置かなくてもいいでしょ。
せっかくのお顔が見えないよ。

こちらは本社の前のSL。
向きバッチリです。

出発まで時間があるのでホームに出てみる。
おー、日本の客車が並んでいるぞ!
左から順に、元JR東日本の14系、元JR九州の12系、元JR東日本の12系。

なぜ真ん中の客車が元JR九州の車両だとわかるの?
それはね、ちゃんと書いてあったから。
まさかマニラでJRマークを見るとはね。
ただし、この車両は使われていなく、左隣にあった14系も使用停止。
フィリピン国鉄の保有している客車のうち、運転できる客車は少ないらしい。

右端に留置されているこの客車は数少ない運転できる車両。
窓には金網が設置され、外板はキズだらけ。
これでも使われていない客車に比べればきれいな状態。

さらに床下を見ると、機器類はことごとくひん曲がっている・・・。

地元の人はホームから線路に下りて歩いている。
ということで、真似して線路に突撃。
ちょうどディーゼル機関車が入換え中だった。
タイフォンを激しく鳴らしている。
その訳は線路でお食事中のヤギ。
ちなみに車庫の奥にある青い貨車、あれもJRの中古車。

この客車はフィリピン国鉄の在来車両。
屋根に人が乗らないようにと三角形になっている。
と、冷静な解説はさておき・・・、
なんなんだ、この状態は!!
台車が片方なくなっているじゃないか!!
こんな状態で放置プレイか!?

さらに奥へ行くと、こちらも放置された12系客車。
連結器は垂れ下がり、窓ガラスも無くなっている。
屋根に付いていたクーラーも半分取れた状態。
日本で何度も乗ったことがあるだけに、この状態は寂しい。

奥にも車体が傾いたまま放置されている12系客車。

そうこうしているうちにディーゼル機関車が12系客車に連結。
出発の準備が整いましたよ。
それじゃホームに戻るか。

ディーゼル機関車と客車は連結器でつながれている。
って、これは当たり前。
良く見ると、連結器の他に太い鎖でもつないでいる。
連結器がはずれたときのため?
連結器が信用できないということ?
(帰りの列車でそれを実感することになる・・・)

ホームでは車内に野菜を積み込み中。
そんなに乗せたらデッキに入れないよ。

ホーム上で客車の観察。
連結面を見ると「JR東日本」のプレート発見。
その下には「新潟鉄工所 昭和46年」のメーカープレート。

ドア周りを見ると・・・、ここはオバケ屋敷!?
ドアは半分はずれているし、方向幕のあった場所はガラスがなくなっている。
外板もボロボロ・・・(;´д`)

別のドアを見ると、日本語の注意書きが残っていた。
「ドアは手前に開きますから ステップに立たないでください」
今となっては走行中もドアは開きっぱなしだけど。
ドアに付いていた窓ガラスはどこいった?
それと客室の窓に付いている金網にも注目。
もうベコベコ。
これも投石のせい。

写真を撮りながらホームをウロウロしていたら、お姉さんに「私も撮って」と声をかけられた。
「OK!」と、列車の最後部から撮ってあげる。
だけど・・・、
ホテルに帰ってからデジカメを見直すと、気になるのは車両のほう。
連結ホロなんて下半分が腐っているじゃん!

やっと車内へ。
ぱっと見はJR時代とあまり変わっていないみたい。
でもなんか天井が変だなぁと見ていると・・・、蛍光灯が無い!

車両のナンバーがそのまま付いていた。
「オハ12 374」
この車両は最後、高崎に所属していた車両。
1978年(昭和53年)製で、12系客車の中でも一番新しい。
高崎に残った仲間は今でもSL奥利根号などで使われている。
そして左には「便所使用知らせ燈」。
トイレのカギをかけると客室内のランプが点き、使用中を知らせていた。
ところが現在、ランプそのものが行方不明。

ついでなんでトイレの写真も。
壁には落書き&穴。
便器の部品が一部なくなりパイプがむき出し。
日本では便器の両側に滑り止めが貼ってあったはず。
空っぽのトイレットペーパーホルダーは無事だった。

洗面所はもっとひどい。
洗面台から蛇口まで全部抜き取られ、ぽっかり穴が開いた状態。
使わないのなら板でフタをするとか、そういう発想はないんだろうな。

デッキにある「くずもの入れ」。
何が出てくるかわからないので、中をのぞくことは遠慮させていただきました。
左上には非常用ドアコックの説明板も。
ドアを閉めることはないから意味ないけど。

客室内に戻って、そろそろ座ろうじゃないか。
JRになる前、日本国有鉄道の一般車の座席はこんな青い生地だった・・・。
今は国鉄の頃の車両もすっかり減って、こういう雰囲気の車両なんて少なくなったよなぁ。

「6C通路側 6D窓側」
網棚の下には日本の座席番号が残っていた。

長々と引っ張ってしまい、申し訳ありません。
いよいよというか、やっと出発です。
トゥトゥバンの車庫を抜けると、さっそく鉄道敷地内を不法占拠して作られたスラム街。
おニイさんの目つきが怖いんですけど・・・。
ガシャッ!
さっそく投げられた石が金網に当たる。

雰囲気が怖い・・・。

全然楽しくない。
緊張しっぱなし。
そして時々襲われる激しい揺れ。
金網越しだから景色(?)を見るのも目が疲れるし。
郊外に行くと空港の脇を通るので飛行機を見れたりするけど。
だけど写真なんてまともに撮れる状態じゃない。

1時間半で終点のアラバンに到着。

この先、終点ビニャンまで行く列車は夕方2本だけ。
しかもビニャンからのトゥトゥバン行きは朝2本だけ。
ということで、マニラからビニャンへは列車で日帰りできない。
お帰りはコチラ
そう、フィリピン国鉄ではJRの中古車両が使われているのです。
【簡単なフィリピン国鉄の解説】
■主な路線は、マニラ~レガスピの南方線(486km)と、マニラ~サンフェルナンド・ウニオンの北方線(266km)の2路線とその支線。
■北方線は、一部廃止を繰り返した後、1991年のピナツボ火山噴火で全線休止(廃線状態?)。
■南方線は、2006年9月の台風によりマニラ南部で鉄橋が崩壊し、その鉄橋以南が2008年現在も運休。残った区間のビナンまで約40km、1日6往復のみ運している。
■残った区間も、スクオッターと呼ばれる不法居住者が鉄道敷地内にスラムを作り(世界一長いスラム街だとか)、線路内で炊事・洗濯をするなど、生活の場になっている。
■線路を勝手に使った、人力トロッコによる営業が行われている。
■一部区間では、日本のODAによってスラムの撤去→線路の再整備を行ったが、その後の保線が満足に行われず、全線に渡り線路状態は最悪。
■1999年と2001年にJR東日本から、2003年にJR九州から海を渡ってきた客車がある(使用しているのは一部のみ)。
■2010年現在、残された区間の改良工事が進み、これから紹介するような景色は残っていない。マニラ南部への復旧工事も進行中で、JR東日本で廃車になったブルートレイン(14系寝台車)が使用される予定。
成田空港からノースウエスト19便でマニラへ向かう。
このあとマニラに着くのは23時。
今回は2泊3日フリータイムのパッケージツアーを利用。
あさって朝8時発の飛行機で日本に帰らなければならない。
マニラ滞在時間は33時間のみ( ̄▽ ̄;)
実際に使える時間は非常に少ない。
ニノイ・アキノ国際空港到着後、入国審査へ。
到着便が集中しているのだろう、長蛇の列。
30分以上待たされ入国、そして税関を通過。
到着ロビーに出てすぐに送迎のガイドと落ち合うことができたけど、
「他ノオ客サンガマダデス。オ待チクダサイ」
しばらくして全員集合、車に移動する。
が、渋滞で駐車場から車がなかなか出てこない・・・。
車に乗ってしまえば渋滞も無く、順調に市内へ。
ホテルまで送迎してもらい、部屋に入れたのは夜中の1時。
「アサッテ、朝5時ロビー集合デス」・・・(´Д`|||)
すぐ寝ようかと思ったけど腹が減った。
あの機内食だけじゃ足りない。
ちょうどホテルの目の前に24時間営業のマックが。
行くしかないでしょ。
そのあとシャワー浴び、ベッドに入った時間は2時半すぎ・・・。
目が覚めたのは9時近く。
昨夜ホテルに入った時点で朝の列車はあきらめていたからゆっくり起床。
朝食は食べずに表通りに出ると、ジプニーが走っていた。
乗ってみたいけど乗り方がわからん。
どこに連れていかれるかもわからん。
ここはおとなしく上の高架線を走るLRTに乗る。
窓口で切符を買っていると、ちょうど電車がきた。
急いで改札口を抜け、電車に乗ってから切符を見てみると、どこかで見たことのある人物が・・・。
左はフィリピンのアロヨ大統領、右の人は・・・、
安倍晋三元首相じゃないかっ!
こんなところでお会いできるとは。
(この当時は福田”あなたとは違うんです”康夫首相)
この頃はにこやかだったんだねぇ。
ドロテオ・ホセ駅で下車。
LRTは撮影禁止らしく、電車の写真が撮れなかった。
ホームで写真を撮ろうとしたら警備員がすっ飛んでくるし・・・。
写真左側の赤い看板の店はフィリピンのハンバーガーチェーン「ジョリビー」。
マックよりお値段が安い。
朝メシがまだなのでここに立ち寄る。
フィリピン国鉄のトゥトゥバン駅まで歩いていく。
ドロテオ・ホセ駅から30分以上かかっただろうか。
実はこの辺り、トンド地区というスラム街。
治安が悪く、一人歩きはよくないというが、地図では他の駅からトンド地区を突っ切っるのが一番近そう。
だがここは少しでも安全をと考えて、遠回りだけど大通りを歩いていく。
写真は途中の橋から見た川。
ゴミで完全に埋まり、そんな場所でも家が並んでいる。
この立派な建物はフィリピン国鉄本社。
ここの1階がマニラの始発駅、トゥトゥバン駅(※)。
本当に立派な本社。
本社だけ立派です。
※正式名称はタユマン駅。ここでは通称のトゥトゥバン駅とします。
なぜか切符にも通称の「TUTUBAN」と印刷されていたので(^^;)
本社正門の左側にはSLが置かれていた。
だけどさぁ、そんな向きに置かなくてもいいでしょ。
せっかくのお顔が見えないよ。
こちらは本社の前のSL。
向きバッチリです。
出発まで時間があるのでホームに出てみる。
おー、日本の客車が並んでいるぞ!
左から順に、元JR東日本の14系、元JR九州の12系、元JR東日本の12系。
なぜ真ん中の客車が元JR九州の車両だとわかるの?
それはね、ちゃんと書いてあったから。
まさかマニラでJRマークを見るとはね。
ただし、この車両は使われていなく、左隣にあった14系も使用停止。
フィリピン国鉄の保有している客車のうち、運転できる客車は少ないらしい。
右端に留置されているこの客車は数少ない運転できる車両。
窓には金網が設置され、外板はキズだらけ。
これでも使われていない客車に比べればきれいな状態。
さらに床下を見ると、機器類はことごとくひん曲がっている・・・。
地元の人はホームから線路に下りて歩いている。
ということで、真似して線路に突撃。
ちょうどディーゼル機関車が入換え中だった。
タイフォンを激しく鳴らしている。
その訳は線路でお食事中のヤギ。
ちなみに車庫の奥にある青い貨車、あれもJRの中古車。
この客車はフィリピン国鉄の在来車両。
屋根に人が乗らないようにと三角形になっている。
と、冷静な解説はさておき・・・、
なんなんだ、この状態は!!
台車が片方なくなっているじゃないか!!
こんな状態で放置プレイか!?
さらに奥へ行くと、こちらも放置された12系客車。
連結器は垂れ下がり、窓ガラスも無くなっている。
屋根に付いていたクーラーも半分取れた状態。
日本で何度も乗ったことがあるだけに、この状態は寂しい。
奥にも車体が傾いたまま放置されている12系客車。
そうこうしているうちにディーゼル機関車が12系客車に連結。
出発の準備が整いましたよ。
それじゃホームに戻るか。
ディーゼル機関車と客車は連結器でつながれている。
って、これは当たり前。
良く見ると、連結器の他に太い鎖でもつないでいる。
連結器がはずれたときのため?
連結器が信用できないということ?
(帰りの列車でそれを実感することになる・・・)
ホームでは車内に野菜を積み込み中。
そんなに乗せたらデッキに入れないよ。
ホーム上で客車の観察。
連結面を見ると「JR東日本」のプレート発見。
その下には「新潟鉄工所 昭和46年」のメーカープレート。
ドア周りを見ると・・・、ここはオバケ屋敷!?
ドアは半分はずれているし、方向幕のあった場所はガラスがなくなっている。
外板もボロボロ・・・(;´д`)
別のドアを見ると、日本語の注意書きが残っていた。
「ドアは手前に開きますから ステップに立たないでください」
今となっては走行中もドアは開きっぱなしだけど。
ドアに付いていた窓ガラスはどこいった?
それと客室の窓に付いている金網にも注目。
もうベコベコ。
これも投石のせい。
写真を撮りながらホームをウロウロしていたら、お姉さんに「私も撮って」と声をかけられた。
「OK!」と、列車の最後部から撮ってあげる。
だけど・・・、
ホテルに帰ってからデジカメを見直すと、気になるのは車両のほう。
連結ホロなんて下半分が腐っているじゃん!
やっと車内へ。
ぱっと見はJR時代とあまり変わっていないみたい。
でもなんか天井が変だなぁと見ていると・・・、蛍光灯が無い!
車両のナンバーがそのまま付いていた。
「オハ12 374」
この車両は最後、高崎に所属していた車両。
1978年(昭和53年)製で、12系客車の中でも一番新しい。
高崎に残った仲間は今でもSL奥利根号などで使われている。
そして左には「便所使用知らせ燈」。
トイレのカギをかけると客室内のランプが点き、使用中を知らせていた。
ところが現在、ランプそのものが行方不明。
ついでなんでトイレの写真も。
壁には落書き&穴。
便器の部品が一部なくなりパイプがむき出し。
日本では便器の両側に滑り止めが貼ってあったはず。
空っぽのトイレットペーパーホルダーは無事だった。
洗面所はもっとひどい。
洗面台から蛇口まで全部抜き取られ、ぽっかり穴が開いた状態。
使わないのなら板でフタをするとか、そういう発想はないんだろうな。
デッキにある「くずもの入れ」。
何が出てくるかわからないので、中をのぞくことは遠慮させていただきました。
左上には非常用ドアコックの説明板も。
ドアを閉めることはないから意味ないけど。
客室内に戻って、そろそろ座ろうじゃないか。
JRになる前、日本国有鉄道の一般車の座席はこんな青い生地だった・・・。
今は国鉄の頃の車両もすっかり減って、こういう雰囲気の車両なんて少なくなったよなぁ。
「6C通路側 6D窓側」
網棚の下には日本の座席番号が残っていた。
長々と引っ張ってしまい、申し訳ありません。
いよいよというか、やっと出発です。
トゥトゥバンの車庫を抜けると、さっそく鉄道敷地内を不法占拠して作られたスラム街。
おニイさんの目つきが怖いんですけど・・・。
ガシャッ!
さっそく投げられた石が金網に当たる。
雰囲気が怖い・・・。
全然楽しくない。
緊張しっぱなし。
そして時々襲われる激しい揺れ。
金網越しだから景色(?)を見るのも目が疲れるし。
郊外に行くと空港の脇を通るので飛行機を見れたりするけど。
だけど写真なんてまともに撮れる状態じゃない。
1時間半で終点のアラバンに到着。
この先、終点ビニャンまで行く列車は夕方2本だけ。
しかもビニャンからのトゥトゥバン行きは朝2本だけ。
ということで、マニラからビニャンへは列車で日帰りできない。
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